岐阜家庭裁判所多治見支部 昭和43年(家)9号 審判 1969年4月01日
申立人 本田満男(仮名)
不在者 坂口フォンダ(仮名) 他二名
主文
不在者坂口フォンダ、同坂口レイ・スミス及び同坂口ハワード・ジンセンに対しいずれも失踪を宣告する
理由
申立人は主文同旨の審判を求め、その理由は、申立人は亡坂口宗一とその先妻うめとの間の長女よしの夫であり、不在者坂口フォンダは上記亡坂口宗一の後妻不在者レイ・スミス及び同ハワード・ジャンセンは上記坂口宗一と不在者坂口フォンダとの間の子であるところ、上記坂口宗一はアメリカ合衆国ニュージャージー州リンダハースト町○○○街○○○番地で上記不在者らと同居していたが、今次戦争に際してアメリカ合衆国政府より強制送還され、わが国に帰還の上名古屋市守山区○○○○において単身生活中のところ、昭和三一年三月八日死亡した。しかるところ、上記不在者らの生死につき外務省を通じて調査嘱託したところ、不在者らは昭和二七年頃上記住所を売り払つて移住したままその後の消息は全く不明であつてその生死も分明しないから、上記不在者らにつき失踪宣告の審判を求める、というにある。
そこで、審按するに、本件記録編綴の各戸籍謄本、外務大臣官房領事課長の回答書、家庭裁判所調査官堀登志子の調査報告書、坂口その、申立人本人各審問の結果によると、次の事実が認められる。
一、亡坂口宗一は明治三九年一〇月一八日申立人の妻よしの母うめと婚姻したが、上記坂口宗一は上記うめの懐妊中に勤務先から派遣されてアメリカ合衆国に渡り、ニューヨーク市に駐在中に同国人たる不在者フォンダと知り合い同国ニュージャージー州リンダハースト町○○○街○○○番地において同棲し、上記うめとは大正二年四月九日協議離婚したこと、
二、しかるところ、上記坂口宗一は、その後上記フォンダとの間に相次で上記住所において不在者レイ・スミス及びハワード・ジャンセンを儲けるにいたつたので、大正一三年六月一六日上記フォンダとの婚姻届出を了し、続いて同日同国在ニューヨーク総領事に対して上記二子の出生届をなしところ、これにより上記フォンダは日本の国籍を取得し、上記二子も嫡出子の身分を取得するにいたり、同年九月四日その旨の事項が上記坂口宗一の戸籍に登載されるにいたつたこと、
三、ところで、上記坂口宗一は今次戦争に際して強制送還され、帰国後は妹とめの女婿たる名古屋市守山区大字○○△△△番地水谷三郎方に身を寄せていたところ、昭和三一年三月八日上記水谷方において死亡したが、上記不在者らは昭和二七年頃上記リンダハースト町の住宅を売払つて他に移住し、全く消息を絶つにいたつた。そこで上記坂口宗一の妹そのは亡父坂口宗太郎の遺産の処理のこともあつて外務省を通じて上記不在者らの所在調査を嘱託したが、結局その所在が不明であつて、その生死も分明しないまま今日にいたつていること
以上の事実が認められる。
以上の事実からすれば、不在者フォンダは婚姻によつて日本の国籍を取得したものであるから、坂口宗一の死亡による婚姻の解消によつて当然原国籍たるアメリカ合衆国の国籍を回復するようにも考えられるが、旧国籍法第一九条の如き規定の存しない現行法のもとにおいては当然にその取得した日本国の国籍を喪失するものということができず、また不在者レイ・スミス及び同ハワード・ジャンセンは大正一三年一一月三〇日以前(旧国籍法第二〇条の二の規定施行前)にアメリカ合衆国において出生したものであつて、国籍法第一〇条の規定によつて日本国の国籍を離脱する手続をとつたことが全く認められないのであるから、上記二名はアメリカ合衆国と日本国との国籍を保有しているものということができる(日本国籍法第二条第一号、アメリカ合衆国国籍法第二〇一条参照)。してみると、上記フォンダはなお日本国籍を保有しているものであるから、その失踪宣告についてはわが国の法律に準拠すべく、また上記レイ・スミス及び同ハワード・ジャンセンについては法例第二七条第一項によりわが国の法律をもつてその本国法として適用すべきものである。
以上の次第で、わが法律にしたがつて判断すると、前認定の事実関係にあつては上記不在者三名は昭和二七年以来所在が不明であつてその生死も分明しないから、上記不在者三名に対して失踪宣告の審判を求める申立人の本件申立は正当として認容すべきものである。
よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 小森武介)